TOP > メディア掲載記事 > 日本経済新聞 H19.2.27

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アジアの中心を目指す沖縄経済特区

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日本経済新聞社と沖縄県は1月22日、シンポジウム「アジアの中心を目指す沖縄経済特区〜ようこそ、ビジネスの楽園へ〜」を東京・大手町の日程ホールで開いた。基調講演で田中直殻21世紀政策研究所理事長は「情報通信の飛躍的な進歩により、沖縄の企業立地環境が激変した」と述べた。「沖縄で花開く新たなビジネスモデル」をテーマとするパネル討論では、仲井眞弘多沖縄県知事が「通信インフラや空路の整備をさらに進める」と強調した。司会は中島洋MM総研代表取締役所長。

基調講演 沖縄経済特区の可能性
(21世紀政策研究所理事長 田中直殻氏)

グローバル経済の進展によって、選択と集中を重ねる企業活動、情報通信費の革命的な低減、日本列島内部に経済活動を戻す投資の動向、研究開発型企業の必要性といった4つの大きな変化が起こった。

これらが沖縄に影響をもたらし、立地を巡る位置づけを間違いなく変えたというのが私の見方だ。

沖縄が本土に復帰した1972年を考えると、グローバル経済の変化の兆候はいまだ微弱だった。復帰時には沖縄三法が制定され、沖縄振興の計画が累次重ねられてきたが、日本企業の基本姿勢が総合的な組み立て産業という仕立てであった時代では、沖縄に新しい企業活動を導入するのは難しかった。

しかし21世紀に入り、東アジア、環太平洋においてグローバルなサプライチューン・マネジメントが成立すると、個々の日本企業は自ら特徴のある姿をとり、新たな対応関係を見つけながら活動してゆかざるをえなかった。沖縄に対する見方も変わってきた。沖縄に、ありとあらゆる部品や加工、組み立て工程がそろっている必要がないからだ。これが沖縄経済にとっての転機となっている。

距離が離れていることの辛さを「距離の暴力」と呼ぶ言い方がある。しかし、情報通信の飛躍的な進歩により、この距離の暴力は20世紀の末から21世紀にかけて克服できるようになった。すると、経済活動の組み替えが当然起きる。かさばっていて、移動させるにも手間がかかるものを日本のような高い賃金を支払って作っていてはそろばん勘定にあわない。需要変化に相応できる供給体制を作り利益を上げるには何が必要なのか。その要件を絞り込んでいくと、生産活動のうち海外に移転すべき活動と国内に確保しなければならないものとの違いが出てくる。研究開発の機能の高いものを中心とした生産活動は日本に移した方が柔軟性が高い、という考え方が次第に日本の企業経営者に浸透するようになった。これが今日の日本の現状だ。

では沖縄は、そうしたグローバルな変化にいかに対応できるのか。沖縄の持つ条件を2つ挙げてみたい。一つは人口の増加だ。沖縄県の人口は現在約136万人だが、毎年1万人ずつ増えている。自然増とともに、沖縄という空間では仕事したい、生活を組み立てたいと考える人が増えているのだ。労働人口が減少過程に入った日本においては際立った特徴である。沖縄では若い人たちの教育や新しい産業で人材を鍛える機能も飛躍的に充実してきている。二つ目は沖縄振興特別措置法だ。同法によって、沖縄県には特別自由貿易地域、情報通信産業特別地区、金融業務特別地区の三つの沖縄経済特区がある。

「選択と集中」が本格的に進んだことで、企業の情報の使い方、金融の使い方、金融活動の組み立て方は大きく変わっている。さまざまな資産をデータベースで共有しながら、自らの付加価値をより高める流れが整いつつあり、いろんなネットワークを張り巡らせることで経済特区の使い勝手の良さが評価されるのは間違いないだろう。産業政策の内容が大きく変化せざるをえない中、沖縄を取り巻く環境や条件を背景にして、今後、どのような産業活動や経済活動が育つのか、非常に興味深いところだ。

沖縄で花開く新たなビジネスモデル

進出のメリット

中島:まずシーポイントの野澤さんに沖縄進出の概要について伺いたい。

野澤:IT系のシステム開発やデータセンター事業などを主な業務としてしている当社は、沖縄に2年半ほど前に進出し、沖縄に特化した地域ブロフサービスを提供している。きっかけは、沖縄での事業の可能性について開くため東京にある沖縄県の事務所を訪ねたこと。職員の方の対応が非常に良かったため話がスムーズに運んだ。
沖縄で仕事を始めて驚いたのは外国語に堪能な人が多いことだ。現在、弊社の沖縄支店には30人ほどのスタッフがいるが、多くの者が英語を話せる上、中国語、タイ語など、アジアの言葉を話せる者もかなりいる。アジアの時代といわれるが、それに合った人材が豊富というのが沖縄の強みだ。

中島:沖縄では製造業は難しいと言われているが、矢野さんの会社はどうか。

矢野:私どもの会社は、液晶ディスプレーのバッグライトに使われる蛍光ランプの製造装置を主力商品としている製造業だ。近年、液晶テレビの大画面化とともに製造設備も大型化し、それに適した工場を探していた。沖縄にある賃貸工場を観察したところ、すぐに使用可能な状態にあったために進出を決意した。
沖縄進出を検討した際、「インフラの整備が進んでいないので、成功しない」と多くの人に言われたが、調べてみると沖縄には工業高校が多く人材を確保しやすい環境にあることが分かった。実際、会社を設立して人材募集をかけたところ、首都圏では考えられないほど多くの応募者がいた。一方、問題として感じたのは、「沖縄タイム」という言葉があるくらい行動がゆっくりしていることだ。しかし、現地雇用の社員を川崎で研修させることでビジネススピードに慣れさせた。

中島:沖縄の金融特区に進出し、営業開始直前という安藤さんの場合はどうか。

安藤:金融部門では、労害やテロなどによる被害を被っても遅滞なく業務を継続できるようにするための対策が世界的に進んでいる。ところが、日本では大地震が起きる可能性が高いとされながら、やっと業務関係のデータを保存し始めたたというレベルだ。そこで、ディザスターリカバリー(災害復旧)の拠点をシンガポールに作ろうという話が持ち上がった。現地視察に行く途中、飛行機の窓から下を見たら沖縄があった。調べてみると、沖縄の気候や地理などが災害対策の拠点に適していることが分かった。
沖縄は公共交通機関が発達していないが、災害時を考えるとこれがメリットになる。住民は自家用車などで移動する生活に慣れているため、災害で公共の交通機関がストップしても移動する手段を確保しやすいからだ。当社では東京を補完するのではなく、それを上回る金融の運用拠点を沖縄に作ろうとしている。

中島:仲井眞知事、これまでの話を聞いた感想をお願いしたい。

仲井眞:私が15年ほど前に副知事をやっていた時代と比べて沖縄の評価がすいぶん良くなってきたと感銘を受けた。特に、災害時を考えると公共交通機関がない方がいいという意見は思いがけなかった。

優待制度と課題

中島:沖縄への企業進出にはさまざまな優遇制度が適用される。皆さんはそれを利用したのか。

野澤:最初はまったく知らなかったが、若年者雇用の助成金があることを知り、利用させてもらった。沖縄には、これまで能力を生かす場があまりなく埋もれているたくさんの人材がおり、そういう人たちを活用できるのはありがたい。

矢野:私どもでは、沖縄で雇った人材を川崎で研修するために助成を利用している。工場の賃貸料もかなり優遇していただいている。

中島:次に、沖縄の課題と沖縄県などに対する改善要望があれば伺いたい。

安藤:金融特区は名護市にあり、那覇とは違った利用と課題がある。利点と感じたのは、非常に自然がきれいでのんびりしていることと、相談に行った名護市役所の方々に一緒に仕事をする意識を持ってもらえたことだ。一方で、日本から海外にいく通信回線のほとんどが東京をゲートウエーにしていることなどの問題がある。また世界の金融機関はシンガポールや香港に拠点を持っているが、そこからは成田を経由しなければ沖縄に行けない。沖縄を経由するような航空機のルートができれば非常に便利で、ビジネスの可能性が高まると思う。

野澤:沖縄にIX(インターネット・エクスチェンジ=ネット中継点)を作る話があるが、まだ実現していない。そのため、沖縄で沖縄の情報を見るにも一度東京を経由している状況で、整備は早くしてほしい。われわれが手がけるデータセンター事業は、動画の扱いが多くなっており、情報量が飛躍的に増えている。それに対応するには沖縄と本土をつなぐ回線をもっと太くする必要がある。沖縄の振興では那覇などの中心部への関心が高いが、離島にも企業誘致を進めた方がいいと思う。

矢野:私は、「沖縄タイム」という習慣をグローバルなどビジネススピードに適応させていく必要があると思う。また、若い人材が先端技術やビジネスを学ぶのは非常に重要なことなので、研修の支援制度は今後も継続してほしいと思う。

中島:仲井眞知事、要望がかなり出たがお考えを伺いたい。

仲井眞:通信についてはいくつかの海底ケーブルが沖縄に陸揚げされており、なるべく早く接続環境を作りたいと思っている。回線の容量が間に合わないのであれば、至急手を打ちたい。離島については、現在、石垣に新空港を建設中だが、これが完成すれば日本国内だけでなく中国などとの直行便も増えることが考えられる。沖縄経済のけん引車としての役割を期待できるだけに、離島についても環境整備を進め、企業誘致を行っていきたいと思う。

田中 直殻氏
たなか・なおき=73年東京大学大学院経済学研究科修士課程修了。国民経済研究協会主任研究員を経て、評論活動を開始。97年4月から現職。
野澤 浩樹氏
のざわ・ひろき=83年名古屋情報経理専門学校卒業、静岡日産自動車入社。96年静岡県浜松市にシーポイントを設立。
矢野 定雄氏
やの・さだお=65年京浜急行電鉄入社。75年ヤノ技研、84年メカトロジャパンを創業。04年沖縄県でOMJPを設立。
安藤 敏行氏
あんどう・としゆき=85年成蹊大学経済学部卒業、野村證券入社。96年安藤証券取締役。02年6月から現職。
仲井眞 弘多氏
なかいま・ひろかず=61年東京大学工学部卒業。沖縄県副知事。沖縄電力社長などを歴任。06年12月沖縄県知事就任。
中島 洋氏
なかじま・ひろし=東京大学大学院(倫理学)修士課程修了。現在、日経BP社編集委員を兼務。

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